IBMの生成AI「watsox」試行版およびMetaの生成AI「Meta AI」

テキスト生成AI(text to text, image to text)一覧のページの中に、IBMの生成AI「watsox」試行版およびMetaの生成AI「Meta AI」についての簡単な紹介文を追加しました。

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AI利用の語学学習アプリに関連する紹介記事

AI利用の語学学習アプリに関連する紹介記事を下記ページで紹介しています。

「AI語学学習アプリ」
https://cosmopier.com/cp-ai-lab/ai-english-language-learning/ai_language_learning_apps

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生成AIを利用して英語の熟語の意味内容を調べるー pastoral careという語句を例として

単語や熟語の意味を調べるのに、辞書や事典を利用するのがかっては一般的であったが、インターネットの普及と共に21世紀初頭からはWikipediaなどの無料のネット事典、および、Google検索の利用が一般的となった。
 しかし最近では、ChatGPTなどの生成AIの精度向上により、WikipediaやGoogle検索に代わり、生成AIの利用が進んでいる。生成AIを、辞書や事典と併用して活用することでこれまで以上にスムーズで適確な調べをすることができる。

そうした形での生成AIの活用に関して、ここではpastoral careという語句を例に取り、見ていくことにしよう。

 

筆者がこの語句を調べようと思ったのは、「AIは人間の教師のサポート役(教育のための補助的手段)となるものであり、人間の教師に取って代わるものではない」という視点から教育におけるAI利用の問題点を論じたFinancial Timesの社説 “The future of the AI-enhanced classroom” Financial Times, 2024/8/25の中の下記文章におけるpastoral careという語句を英和辞典で調べてもその意味内容が明確にはつかみ取れなかったからである。

“AI is also unlikely ever to be able to substitute for the judgment, motivation, guidance and pastoral care a teacher can provide.” 
[出典]
https://www.ft.com/content/e9523570-5966-4d99-ac92-45d3966ae28e
 

英和辞典におけるpastoral careの注釈

英和辞典の解説は、紙幅の制約のため下記のような簡単なものであり、本文脈で必要とされるニュアンスを必ずしもうまく表現した記述にはなっていない。

  1. 大修館書店『ジーニアス英和大辞典』
    「(牧師から教会員への)助言;(教師から生徒への)アドバイス」
     

  2. 研究社『リーダーズ英和辞典』第2版
    《宗教・教育上の指導者が信徒・学生に与える》忠告, 心得, 《私生活上の》カウンセリング, (悩み)相談
 
上記の一文に関するChatGPTの日本語訳
 上記の一文に関するChatGPTの日本語訳は、「AIは、教師が提供できる判断力、やる気を引き出す力、指導力、そして生徒への温かいサポートに取って代わることは、おそらく決してできないでしょう。」というものである。
 motivationを「やる気を引き出す力」と、pastoral careを「生徒への温かいサポート」とするChatGPTの意訳は文脈に即した適切なものと言えよう。
 
英英辞典におけるpastoral careの注釈
 下記に示すように、単語や語句のニュアンスの理解のためには、やはり英和辞典よりも英英辞典の方が役に立つ。生成AIの回答の信頼度の確固たる保証がない現状では、英英辞典での再度の確認は念のためにした方が良い。
もっとも本サイトの他の記事でも紹介しているように、今回のpastoral careという語句も含め、生成AIの回答は英英辞典の内容を反映したものになっていることがほとんどであると思われる。
pastoral careに関するChatGPTの先ほどの日本語訳も、コリンズ英英辞典における下記注釈の”help with personal needs and problems given by a teacher”(教師が生徒の個人的な悩みや問題に対して行うサポートや助け)に対応したものである。
 

  1. コリンズ英英辞典(Collins English Dictionary,HarperCollins Publishers)
    pastoral careを見出し語として採用し、イギリスにおける教育用語として”help with personal needs and problems given by a teacher”という意味を持つとした上で下記のような例文を挙げている。

    excellent teaching and pastoral care
    A few schools now offer counselling sessions; all have some system of pastoral care.

    [出典]https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/pastoral-care
     

  2. ロングマン現代英英辞典(Longman Dictionary of Contemporary English Online
    pastoral careという語句は見出し語とはなってはいないが、pastoralという単語の3番目の意味の例文の中でpastoral care at the schoolという語句を挙げるとともに、pastoralに関して” relating to the duties of a teacher in advising students about their personal needs rather than their schoolwork”という意味としている。
    [出典]https://www.ldoceonline.com/dictionary/pastoral

  3. Oxford Advanced Learner’s Dictionary
    pastoral careという語句は見出し語とはなってはいないが、pastoralという単語の1番目の意味として”​relating to the work of a priest or teacher in giving help and advice on personal matters, not just those connected with religion or education”という注釈を挙げるとともに、そうした意味の用例としてpastoral careという語句を挙げている。
    [出典]https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/pastoral?q=pastoral
     

 
生成AIによるpastoral careに関する詳しい注釈
生成AIを利用すると、pastoral careという語句の現在的用法を参照しながら、英英辞典以上に詳しい注釈を得ることができる。従来はGoogle検索の結果を数多く見ることが必要であったが、生成AIを利用することでそうした手間をかなり省くことが可能となっている。

下記にChatGPTほかの生成AIによる回答を紹介する。

 

A. ChatGPTによる注釈-「単なる問題解決だけでなく、相手の存在を尊重し、長期的な支援を提供するという広範な意義を持つ言葉」としてのpastoral care

 

 下記に示したように、ChatGPTは、教育現場でのpastoral careを、「教師やカウンセラーが行う生徒支援活動」なども含む「全人的な福祉(well-being)を重視したサポート」であるとしている。

 
以下、ChatGPT4oの回答。ただし引用に際して、少し表現を変えてあります。
[出典]https://chatgpt.com/share/675aff24-457c-800f-a92b-ad99e8acf04d
 
英語の「pastoral care」は、元々キリスト教における牧師(pastor)が信徒を精神的・道徳的に支える役割から来た言葉ですが、現代では宗教的な文脈を超えて、教育、医療、社会福祉、ビジネスなど幅広い分野で使われています。この用語の意味と用法を具体例とともに説明します。
 
1. 基本的な意味
「pastoral care」は、個人の精神的、感情的、社会的な幸福に関わる支援やケアを指します。関係性を重視し、相談や対話を通じて問題を解決したり、支援を提供したりします。
 
具体的な要素
  • 感情的サポート: 不安や悩みを抱える人に寄り添い、話を聞く。
  • 道徳的指導: 必要に応じて、価値観や倫理的な視点を共有する。
  • 実践的支援: 必要なリソースやサービスにつなげる。
 
2. 宗教的文脈での用法
教会や宗教的コミュニティでは、牧師や聖職者が信徒に「pastoral care」を提供します。これは、信仰の指導、祈り、悩み相談、儀式の執行などを含みます。
 
具体例
  • 病床訪問: 病院で入院中の信徒を訪れ、祈りや聖書の言葉を通じて慰めを提供する。
  • 人生の転機におけるサポート: 結婚式、葬儀、洗礼など、重要なライフイベントにおける精神的な指導や支援。
  • 悩み相談: 信徒が人生の困難に直面した際に、信仰に基づいた助言を行う。
 
3. 教育の文脈での用法
教育現場では、「pastoral care」は、生徒の学業成績だけでなく、全人的な福祉(well-being)を重視したサポートを指します。教師やカウンセラーが行う生徒支援活動がこれに該当します。
 
具体例
  • いじめ対策: 学校内でいじめが発生した場合、被害者と加害者の両方にカウンセリングを提供し、問題解決を図る。
  • メンタルヘルスの支援: 生徒がストレスや不安を抱えている場合、話を聞き、必要に応じて心理的な専門家を紹介する。
  • 進路相談: 生徒が将来のキャリアや進学について悩んでいる場合、個別の相談や助言を行う。
 
4. 医療・福祉の文脈での用法
医療現場では、「pastoral care」は患者やその家族に対する精神的・宗教的なケアを指します。ホスピスケアや終末期医療で特に重要です。
 
具体例
  • ホスピスケア: 末期患者とその家族に対し、宗教的な背景に配慮しながら、平安をもたらすためのサポートを提供する。
  • 精神的ケア: 長期療養中の患者が不安や孤独を感じた際、話を聞き、希望を与える言葉をかける。
  • 多宗教対応: 病院内で異なる宗教的背景を持つ患者に合わせた精神的支援を行う。
 
5. ビジネスの文脈での用法
近年、企業においても「pastoral care」は従業員の精神的健康と幸福のサポートを意味します。特に職場のウェルビーイング向上の文脈で用いられます。
 
具体例
  • ストレス管理プログラム: 職場でのストレスやバーンアウトを防ぐため、相談窓口やリラクゼーションセッションを設ける。
  • 働きやすい環境の提供: 職場でのハラスメントを防ぎ、従業員が安心して働けるような体制を整える。
  • ライフイベント支援: 育児や介護など、従業員が私生活で抱える問題について柔軟な働き方をサポートする。
 
6. 適用例の共通点
どの文脈でも、以下の共通点が見られます。
 
  • 個別対応: 個々のニーズに応じた支援を行う。
  • 信頼関係: ケア提供者と受け手との信頼が重要。
  • 非判断的姿勢: 相手を批判せず、受容的に接する。
 
「pastoral care」は、単なる問題解決だけでなく、相手の存在を尊重し、長期的な支援を提供するという広範な意義を持つ言葉です。
 

なお、「教育の文脈での用法」におけるpastoral careについての参考資料としてはChatGPTが挙げた資料の多くは、日本語プロンプト文では中国語サイトのものであった。英語圏の資料として挙げられているものは下記のように数が少ない。

 

B. Google Gemini Advanced 1.5 Proの回答(2024/12/13)
https://g.co/gemini/share/3587cbc3d5ab

Google Geminiの場合には、日本語プロンプト文であったにも関わらず、回答は英語文となっている。
 ただし「patroral careに関して教育の文脈での用法に関する参考資料を教えてください。」という追加のプロンプト文に対しては、下記のような日本語での有益な資料を数は多くはないが挙げており、参考となる。
https://g.co/gemini/share/0edc70a2e669
 
  • 新井英靖(2009)「英国のパストラル・ケアの発展過程に関する研究」『茨城大学教育学部紀要』第28号, pp.65-77
    http://center.edu.ibaraki.ac.jp/doc/kiyou/28_2009/06_2009-65-77.pdf
    Google Geminiは、本論文を、「英国におけるパストラル・ケアの歴史と変遷、現代における課題について論じた論文。教育におけるパストラル・ケアの概念や実践を知る上で役立ちます。」として一番目に挙げている。
    なお同論文は、「(イギリスにおける)1960 年代のパストラル・ケアは「個人的に困難やトラブルを引き起こす生徒に対して,教師個人が単に応答すること」を指す狭い概念であった。」(p.68)であったが、1970年代には「教科指導とパストラル・ケアの統合」(p.70)や「リメディアル教育とパストラル・ケアの関連性」(p.71)、パストラル・ケア視点からのカリキュラム改革(pp.73-75)など、次第に同概念の拡張の必要性が認知されるようになった、としている。
    http://center.edu.ibaraki.ac.jp/doc/kiyou/28_2009/06_2009-65-77.pdf
     
  • NUCB International College(国際高等学校)「寮生活でのパストラル・ケア」 TOP>学校案内>ボーディングスクールとは>国際寮
    https://ic.nucba.ac.jp/jp/boarding/dormitory/entry-23591.html

    本WEBページでは、「すべての学生が積極的に学校生活を楽しめるような支援をパストラル・ケアと呼び、多くのボーディングスクールで重視されています。語源はpastor(牧師)によるcare(監督)からきており、「牧師が信者に対して接するように、教師が生徒の勉強、生活、人格面について行う教育」という意味があります。・・・ボーディングスクールにおけるパストラル・ケアは、学問のためではなく「長い人生の準備を行う教育」です。それは心身の健康と成長を支え、ウェルビーイングを高め、主体性や自己肯定感を育みます。心身の健康は、翻って学力の向上にも大きな効果をもたらします。」とされている。
     
  • Malvern College Tokyo「パストラルケア」
    https://www.malverncollegetokyo.jp/ja/pastoral-care

    本WEBページでは、「マルバーンの教育の特徴は、杓子定規ではない学習方法、少人数制のクラス、専任のチューターによる指導、個人への絶え間ない気配りにあります。手厚いパストラルケアは、寄宿学校の精神を全日制学校の環境に組み込むことを目的としており、生徒と教師が密接に結びついたコミュニティを形成することに努めています。
    私たちの目標は、生徒の身体的、社会的、感情的な発達を促すことで、学業だけでなく、生徒の能力をさらに高めることです。人格教育、学校コミュニティ内での良好な人間関係の構築と強化、健康的なライフスタイルの促進は、すべて効果的なパストラルシステムに不可欠です。」とされている。
     

 
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AI利用英語授業の実践例

 
 
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藤森智世 「2045 年、シンギュラリティは本当に起きるのか」『多聴多読マガジン』2024年12月号

藤森智世先生の『多聴多読マガジン』連載記事の第4弾「2045 年、シンギュラリティは本当に起きるのか」(AIを思考のパートナーに!その2)『多聴多読マガジン』2024年12月号,pp.108-113の記事を下記で全文ダウンロードできます。

https://cosmopier.com/cp-ai-lab/ttm-serial-articles/fujimori-ai-ttm2024-12

第4回では、第3回に続いて生成AIを思考のパートナーとして、信頼できる複数の情報を集めて、それをもとに英語で考え意見を形成する力を養う方法を紹介します。
英語での自己主張力の低さを改善するために、文法的な表現力を身につけることはもちろん重要です。そもそも自分の意見を構成するためには、裏付けとなる事実や根拠となる情報を集めるとともに、批判的思考能力を鍛えなければいけません。さらに英語での即応力を高めるためには、普段から英語での意見形成に慣れておくことが大切です。
 
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AIで日本語の学術論文を英訳するー自分の日本語論文を翻訳させてみる(ChatGPT編その2-1)

ChatGPTによる英訳でまず最初に気になったのは、「主観と客観」がsubjectivity objectivity という訳になっていたことです。

というのも、 subjectivityやobjectivityといった語句における接尾辞「-ity」は、形容詞(この場合で言えば、subjectiveおよびobjective)から抽象的な名詞を導き出す機能を持った語句です。そうした形容詞からの派生的名詞として、subjectivityやobjectivityは「・・・であること」、「・・・的なもの」というニュアンスの名詞となります。

そのためsubjectivityやobjectivityという語句の日本語訳としては、一般的には、「主観性」や「客観性」という語句が当てられ、「主観」や「客観」といった名詞とは異なる意味合いをもったものとなっています。

(なお日本語における哲学用語として「主観」と「主体」、「客観」と「客体」は区別されていますが、英語ではそうした区別が単語そのもののレベルではありません。そのため日本語訳とて、subjectivityは「主体であること」や「主体的であること」を、objectivityは「客体であること」や「客体的であること」を意味することもあります。)
 

実際、ChatGPTに対して、subjectivityとobjectivityの日本語訳を尋ねると、下記のように、「主観性」、「客観性」という語句が返ってきます。

「subjectivity」と「objectivity」を日本語に訳すと、それぞれ以下のようになります。
Subjectivity: 主観性
Objectivity: 客観性
 
「主観性」は、個人の感情や意見、視点に基づいた考え方を指し、「客観性」は、個人の感情や偏見を排除し、事実やデータに基づいた公平な考え方を指します。
 
 

こうしたことは、以下に挙げるように、代表的な英和辞典の記述においても確認できます。

  1. 研究社『新英和大辞典』第6版
    subjectivity
    1 主観的なこと, 主観性 (cf. objectivity).
    2 主観, 主観主義 (subjectivism).
     
    objectivity
    客観的[普遍的]妥当性, 客観性, 対象性 (cf. subjectivity).

     

  2. 大修館書店『ジーニアス英和大辞典』
    subjectivity
    1 主観性(⇔ objectivity).
    2=subjectivism.
     
    objectivity
    客観性, 客観主義, 客観的実在(⇔ subjectivity);公平さ, 中立的であること;(個々の考えに左右されずに)正確であること

     

  3. 小学館『ランダムハウス英語辞典』
    subjectivity
    【1】主観的であること,主観性.
    【2】(pl.-ties)主観的な考え;個性,(特に作品に表された)芸術家の個性.
    【3】自己中心性,内省的傾向.
    【4】主観的実在.
    [1812.SUBJECTIVE+-ITY; 哲学用語としては<フランス語 subjectivité]
     
    objectivity
    【1】客観性:He tries to maintain objectivity in his judgment. 自分の判断が客観的であるよう努める.
    【2】(思想・感情などより)外面的事象を問題とすること,客観主義的傾向.
    【3】外的現実,客観的実在.

     

また、下記に挙げた日本語事典では、主観・客観に対応する英単語としてsubjectやobjectは挙げられていますが、subjectivityやobjectivityは挙げられていません。

  1. 朝日新聞社『知恵蔵』 「主観/客観」 subject/object

  2. 平凡社『マイペディア』 「主観・客観」

  3. 久保陽一「主観/客観」『哲学中辞典』知泉書館、pp.569-571 〔英〕subject / object

  4. 岩佐茂「対象」『哲学中辞典』知泉書館、p.761 〔英〕object
    「[対象(object)は]主体•主観(subjectum)に対立した概念であり,それとの相関で用いられる。元々の意味は,subjectumの前に投げ出されたものを指し,その意味では,objectumは,客体とも訳される。」
 
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AIで日本語の学術論文を英訳するー自分の日本語論文を翻訳させてみる(ChatGPT編-1-2 英訳結果)

佐野正博(1983)「物理学における主観と客観の問題」『看護研究』Vol.16 No.3、pp.7-13という論文に関するChatGPT4oによる英訳結果は下記の通りです。

 

 現行の生成AIでは、プロンプト文で意図した通りの結果が生成されるとは限りませんし、思わぬ間違いが含まれることもあります。それゆえ実務における利用に際しては、回答結果に関する念入りなチェックが事前に必要です。
(例えば、今回の英訳作業においても、第1節の前の冒頭の4つの文章は最初は英訳されていませんでしたので、追加で英訳の指示をおこなっています。)

 

 その英訳内容についての詳しい検討結果は、次稿の「AIで日本語の学術論文を英訳するー自分の日本語論文を翻訳させてみる(ChatGPT編その2)」で紹介します。

 
The Problem of Subjectivity and Objectivity in Physics

Masahiro Sano

 

The problem of subjectivity and objectivity in physics can be discussed from two perspectives.

The first perspective examines how subjectivity and objectivity are represented in the theories of physics. From this perspective, inherent within physics itself, the problem of subjectivity and objectivity is treated as a problem of the observer and the observed. In other words, the discussion revolves around how the subjective (the observer) perceives the objective (the observed). One example of this perspective is the problem of observation in quantum mechanics.

The second perspective deals with the nature of physics itself. Physics, as a form of knowledge, raises questions about the relationship between subjectivity and objectivity. Specifically, is physics the objective knowledge it is generally considered to be, or is it fundamentally subjective knowledge as a product of thought?

In this paper, I will explore the problem of subjectivity and objectivity in physics from the second perspective, using the thoughts of physicists themselves as a clue.

 
  1. The Establishment of Objectivity as a Result of Excluding Subjective Elements
Physics is generally considered the most rigorous science, an archetype of an objective and universal science. The practical successes brought about by physics, such as nuclear energy and space exploration, are regarded as proof of the objectivity of physics. The objectivity of physics is guaranteed by its experimental basis and quantitative methods; in other words, it is claimed that physics captures nature as it is through experiments. Because physics is formed from facts derived from experiments without prejudice or preconception, it is considered objective.
Objectivity in physics is understood as capturing the objective reality “as it is,” meaning the exclusion of various subjective elements such as biases and preconceptions. This basis for asserting the objectivity of physics by excluding subjective elements from recognition was provided by Galileo. He believed that “the universe is written in the language of mathematics, and its characters are triangles, circles, and other geometrical figures.” Galileo also distinguished between primary qualities and secondary qualities, considering the latter as subjective elements that should be explained through the former.
As a result, Galileo viewed qualities like “smell, taste, and sound” as secondary qualities that should be excluded from the real world and focused on primary qualities like “size, shape, number, and motion” as the objective properties that should be studied. Thus, discovering the true structure of the physical world and reading the “book of nature” through mathematics became the objective of science according to Galileo. It came to be believed that the objectivity of physics is established as a result of excluding subjective elements.
In this paper, we will examine the problem of subjectivity and objectivity in physics from the second perspective, using the thoughts of physicists themselves as a clue.
 

  1. Subjective Elements Explained Even by Naive Objectivism
In naive objectivism, subjective elements are not completely excluded from the entire process of physical research to maintain objectivity. For example, because physicists are also human, subjective elements such as the motivations for research naturally become one of the elements constituting the research process. There might be physicists who conduct research with thoughts such as “I want to win a Nobel Prize.” Historically, under the leadership of Nazism, there was an attempt to deny relativity theory and quantum mechanics in favor of “Aryan physics.” However, such social motives that physicists may have are external to the content of physics itself and have no direct relevance to the essential research process of physics.
Now, is there no room for subjective elements to enter into physics itself? In reality, this is not the case. Here, I will discuss the issues of hypotheses and the arbitrariness of the expression forms of physical theories, which are subjective elements acknowledged even by naive objectivism.
 
(1) Hypotheses
Since we cannot know a priori what constitutes a correct physical theory or what the objective nature of reality is, it is indispensable to formulate hypotheses in research. That is, “physics without hypotheses” is impossible. For example, Poincaré stated, “Anyone who has reflected a little has noticed how wide a place hypotheses occupy; the mathematician can no more do without them than the experimenter.” Hypotheses are clearly subjective because they are “invented” to explain observed facts rather than being derived from them.
However, hypotheses do not threaten naive objectivism. This is because hypotheses are thought to be immediately tested experimentally, revealing their truth or falsehood. Hypotheses found to be false by experiments are discarded as errors. In contrast, hypotheses proven true are no longer hypotheses but are treated as true, objective theories. Thus, subjective conjectures are ultimately excluded from physics through experimental testing. In naive objectivism, the issue of hypotheses is explained as the process of eliminating subjective elements and establishing objectivity. According to naive objectivism, nature, as a book, is read exactly as it is through experiments, and hypotheses represent subjective motives for which part of nature to read. Like personal motives such as “wanting to win a Nobel Prize,” hypotheses are necessary when starting physical research but are not components of true physical theories as descriptions of nature as it is.
 
(2) The Arbitrariness of the Expression Forms of Theories
With the advancement of mathematization in physics, it has become possible to express physical theories in various forms. For example, the equations of motion in classical mechanics can be expressed in multiple forms, such as Newton’s equation of motion (F = ma), Lagrange’s equations of motion, and Hamilton’s canonical equations. Additionally, space can be represented using three-dimensional Cartesian coordinates (x, y, z) or spherical coordinates (r, θ, φ). Regardless of the expression form used, the same physical theory is being represented due to mathematical equivalence, making it the same physical theory.
In naive objectivism, it is believed that among the various expression forms of a theory, one represents nature as it is, while the others are considered mathematical constructs used for computational convenience. For instance, in classical mechanics, Newton’s equations of motion are generally thought to represent nature as it is. Therefore, according to naive objectivism, the arbitrariness of the expression forms does not negate the fact that the physical theory represents nature as it is.
In practice, there are cases where it is not immediately understood that the theories are the same. This was the case with the two formulations of quantum mechanics: “matrix mechanics” and “wave mechanics.” Due to differences in the underlying concepts of nature and a lack of understanding of their mathematical equivalence, they were initially considered opposing theories. Naive objectivism would explain this as a temporary misunderstanding by physicists. Schrödinger proved the mathematical equivalence of both formulations, resolving this misunderstanding.
However, does mathematical equivalence truly mean the theories are identical as physical theories? The naive objectivist interpretation of physical theories runs into difficulties when answering this question affirmatively. Let’s take electromagnetism as an example to examine this point.
Electromagnetism can be expressed using the electric field (E) and the magnetic field (H) as fundamental physical quantities or using the electromagnetic potentials (A) and (φ) as fundamental physical quantities. Both systems are mathematically equivalent and are considered the same theory. However, since the theoretical concepts that form the basis of both systems differ, they cannot both be considered a description of nature as it is. The claim that the same physical object can be both an electromagnetic field and an electromagnetic potential is contradictory. Thus, according to naive objectivism, one of the systems represents nature as it is, while the other is a mathematical tool. Just as in classical mechanics, where quantities like force, mass, and acceleration are considered real, and the “generalized coordinates” and “generalized forces” in the Lagrangian equations are considered mathematical constructs, the same applies here.
Generally, the electric and magnetic fields are considered real theoretical concepts, while the electromagnetic potential is regarded as a non-existent mathematical construct. This is because the electromagnetic field was considered an observable quantity, whereas the electromagnetic potential was not. However, recently, the quantum effects of electromagnetic potentials (Aharonov-Bohm effect) have been experimentally verified, and electromagnetic potentials are now increasingly considered observable, acknowledging their reality.
As a result, naive objectivism, which regards electromagnetic potentials as mathematical constructs, faces significant difficulties. For the same physical object, two different theoretical concepts can be applied, and both are considered real, leading to a contradiction. If various expression forms of a theory are considered to have equal status, it leads to the denial of naive objectivism.
The negative implications of the arbitrariness of the expression forms of theories against naive objectivism were already pointed out by L. Boltzmann. Evaluating H.R. Hertz’s attempt at a new formulation of classical mechanics, Boltzmann stated, “Hertz has made physicists keenly aware of what philosophers have been saying all along: that no theory can ever be something that actually coincides with nature.”
 
  1. Instrumentalism as a Counter-Ideology to Naive Objectivism
In section 2, I discussed the issues of subjective elements acknowledged even by naive objectivism. However, these subjective characteristics do not completely negate naive objectivism. It is still possible to explain the existence of these elements within the framework of naive objectivism. Therefore, here, I will consider a more systematic critique of naive objectivism.
First, let’s consider instrumentalism, which emerged around the same time as naive objectivism. Instrumentalism regards theoretical concepts merely as tools for calculation and denies their reality.
(1) Instrumentalism — Theories and Theoretical Concepts as Tools for Calculation
Copernicus proposed the heliocentric theory, asserting that the Earth actually revolves around the Sun. In contrast, some critics of the heliocentric theory took the position that it was merely a tool for calculation and not a true description of the world. For example, Andreas Osiander, in the preface to Copernicus’s major work On the Revolutions of the Heavenly Spheres, wrote, “It is not necessary that these hypotheses should be true or even probable; it is sufficient if they provide a calculus consistent with the observations.” This statement criticized the naive objectivist understanding of the heliocentric theory.
Instrumentalism, which positioned physical theories as mathematical tools for calculation and prediction, was inherited by thinkers like Berkeley. Berkeley argued that force “does not actually exist in nature but should be seen as a mathematical hypothesis” and that while it is “useful for reasoning and calculations concerning motion or bodies in motion, it is of no use for understanding the true nature of
motion itself.” He further noted that “regarding gravity, it is clear that Newton did not introduce it as a true physical property but merely as a mathematical hypothesis.” These statements criticized the naive objectivist understanding of Newtonian mechanics.
Instrumentalism continues to be supported by many physicists even today. For example, Schrödinger, one of the founders of wave mechanics, initially regarded the wave function as an existing wave, maintaining a naive objectivist stance. However, he later shifted to an instrumentalist position. In an article titled “The Present Situation in Quantum Mechanics,” Schrödinger stated that with the establishment of quantum mechanics, “one has to abandon naive realism and rely directly on the indubitable proposition that, in the end, there is only observation and measurement. Henceforth, all our physical thoughts are fundamentally based on or directed toward the results of measurements that are, in principle, feasible. … The wave function is nothing more than a means to predict the probabilities of measurement outcomes.” This statement reflects an instrumentalist interpretation of quantum mechanics.
Moreover, Dirac, who significantly contributed to the development of quantum mechanics, said, “Physicists know how to calculate and compare the results with experiments. If the results agree with the experiments, they are satisfied, and that’s all physicists need.”
Thus, many modern physicists (especially those researching quantum mechanics) take an instrumentalist stance. Just as the emergence of non-Euclidean geometry in mathematics led to the denial of a naive objectivist understanding of mathematics, the development of quantum mechanics in physics can be seen as having broken naive objectivism. This is because the fundamental concept of quantum mechanics, the wave function, cannot be interpreted as representing an actual wave in nature. There are several reasons why the wave function is considered non-real. The most decisive reason is the probabilistic interpretation of the wave function. Since the wave function represents probabilities, it cannot be considered a real wave. Additionally, for many-particle systems, the wave function is expressed not in three-dimensional space but in multi-dimensional configuration space. Since real space is three-dimensional, the wave function cannot be said to exist within real space. Furthermore, while nature is considered to have a real-number structure, the wave function is expressed in complex numbers, which is another reason.
Quantum mechanics cannot be explained from a naive objectivist perspective. That is, the wave function, the fundamental concept of quantum mechanics, is not considered a description of nature as it is. So, is instrumentalism, which regards the wave function merely as a tool for calculation, correct? Next, I will critically examine the claims of instrumentalism.
(2) Criticism of Instrumentalism
Instrumentalism argues that theoretical concepts are tools for prediction and calculation. However, naive objectivists would likely also accept this. The point of contention between naive objectivism and instrumentalism was whether theories are descriptions of nature as it is. With the advent of quantum mechanics, naive objectivism encountered difficulties on this point. However, this does not mean that the claims of instrumentalism are correct. Instrumentalism argues more than just that theories are not descriptions of nature as it is; it claims that theories are subjective constructs that have no connection to nature.
The claim that theories and theoretical concepts are subjective constructs only makes sense in contrast to the objectivity of observations or measurement results. Theoretical concepts are merely products of thought and are subjective, whereas observations or measurement results are not mere products of thought and are considered objective.
As evident from the previous citations related to instrumentalism—such as “in reality, there is only observation and measurement” or “the only basis for all our physical thoughts is … the results of measurements”—instrumentalism assumes the reality (objectivity) of observations or measurement results. Even Mach, an instrumentalist who denied the reality of atoms by regarding them as “mere symbols of complexes of sensory elements,” stated that “sensory facts are the starting point and goal of all adaptations in the thoughts of a physicist.” Thus, observations or measurement results are considered certain, as something to be explained by theories or theoretical concepts. In other words, the objectivity of observations or measurement results supports the instrumentality of theories and theoretical concepts. The assumption of an absolute separation between theory and observation was used to contrast the objectivity of measurement results with the subjectivity of theories.
However, as argued by N.R. Hanson, observational facts are theory-laden. In other words, observations are guided by theories, and theories underlie observations. There is no such thing as pure observation without theory. At the very least, the observational statements that form the basis of physical theories contain theoretical concepts. Observational results without theoretical concepts are meaningless. For physical theory, for instance, the visual position of a needle in an ammeter itself is not the issue; what matters is what this visual position signifies for the physical theory. In other words, in physics, it is not the “visual position of the needle in the ammeter” but the “value of the electric current” that constitutes the observational result.
Even observable physical quantities like velocity, acceleration, current, and voltage are theoretical concepts. The meanings of these terms are given in relation to theories such as mechanics and electromagnetism. As is evident from this discussion, the absolute separation of observation and theory, which is the fundamental premise of instrumentalism, should be rejected. Since there is no “pure observational fact without theory,” instrumentalism is incorrect.
Furthermore, if we acknowledge the theory-laden nature of observational facts, then both observational facts and theories can be said to have the same existential status. If observational facts are considered real, then theories are also real in the same way. One cannot claim that only theories are subjective constructs. The instrumentalist claim that pianos are real but that the atoms said to compose the pianos are not real is incorrect. As argued by Shozo Omori, “The everyday world of appearances and the world depicted by scientists with atoms, molecules, and electromagnetic fields are one and the same.” “Objects as collections of atoms and perceptual images with colors and smells are actually one and the same thing.” The perceptual description and the physical description overlap. The claim that observational facts and theories have equivalent existential status serves as both a critique of instrumentalism and of naive objectivism. Naive objectivism considers only “primary qualities” like size and motion to be objective, while “secondary qualities” like color and sound are purely subjective. However, if we recognize the theory-laden nature of observational facts or “overlapping depictions,” then “secondary qualities” must also be considered objective in some sense.
Against instrumentalism, I have thus far presented critiques from two perspectives, but there are also various critiques from other perspectives. If instrumentalism is to be rejected, as argued thus far, then a different perspective will be needed for a critique of naive objectivism. Next, I will explore a more general critique of naive objectivism from the perspective of the historical change of theories, rather than its relation to quantum mechanics.
 
  1. Theory Change and the Constancy of Nature
The fact that physics changes historically presents a significant difficulty for naive objectivism. Naive objectivism assumes that nature exists independently of the changes in physical theories. For example, in the transition from the geocentric model to the heliocentric model, nature itself remains unchanged and constant. That is to say, no one claims that “suddenly, the Earth started revolving around the Sun” after the heliocentric model was proposed by Copernicus and established as the true theory. Even in the era of Aristotelian cosmology, it is considered today that the Earth was orbiting the Sun, independent of the theory change from geocentric to heliocentric.
If one takes a naive objectivist stance and argues that physical theories are descriptions of nature as it is, then one must also claim that theories should not change as long as nature remains constant. If nature is unchanging, then the theories describing it should not change either. So, why do theories change historically?
Naive objectivism explains this process of theory change as the rejection of false theories (like the geocentric model) and the acceptance of true theories (like the heliocentric model). However, not all theory changes can be understood as a shift from a false theory to a true one. The historical shift from Newtonian mechanics to relativity theory or from classical mechanics to quantum theory is generally not considered a change from a false theory to a true one. To illustrate this point more concretely, let us consider the debate over the nature of light. Newton proposed the particle theory of light. In contrast, Hooke advocated the wave theory. The debate between the particle theory and the wave theory eventually concluded with the wave theory being accepted, due to experiments such as measuring the speed of light in water. Light was then considered to be a wave. However, in 1905, based on phenomena such as the photoelectric effect, Einstein proposed the quantum theory of light. After the experimental confirmation of the Compton effect, the quantum theory of light was regarded as correct. Once again, light was considered a particle. And then another change occurred: by treating electromagnetic fields quantum mechanically, light came to be seen as “photons.” Although opinions differ on what exactly photons are, they are generally considered to possess both particle-like and wave-like properties. In such cases, the position of naive objectivism, which insists that all prior theories were wrong, is overly simplistic because each preceding theory can be considered correct within certain limits.
Moreover, even if we temporarily accept the naive objectivist explanation for the historical change in theories, this generates even more questions. One issue is why theories that were supposedly false were believed to be true in the first place. For example, why did so many people, for such a long time, consider the geocentric model to be true? Furthermore, how can we be sure that the theories currently regarded as “true” will
not be replaced by new theories? Like the geocentric model, could they not just be “believed to be true” but actually be “false”? It is difficult to answer these doubts logically.
In conclusion, recognizing the historical change of theories suggests that naive objectivism is untenable. Naive objectivism is not only rejected in specific cases, such as the arbitrariness of the expression forms of electromagnetic theory or the non-reality of the wave function in quantum mechanics, but it is also rejected from a general perspective, such as the historical change of theories.
 
Conclusion
Throughout this paper, we have critically examined two representative ideas concerning the problem of subjectivity and objectivity in physics: naive objectivism and instrumentalism. To summarize, naive objectivism asserts the objectivity of theories as descriptions of nature as it is, while instrumentalism claims the subjectivity of theories as mere tools for calculation. In this paper, we have critiqued naive objectivism from the perspective of the historical change of theories and instrumentalism from the perspective of the theory-laden nature of observational facts.
A new thought that transcends naive objectivism and instrumentalism is being developed through a re-examination of the definitions of subjectivity and objectivity. While this paper has only touched on this suggestively, it will be discussed in detail on another occasion.
References
 
 
  1. For example, Nobuharu Tanji’s “The Problem of Observation in Quantum Mechanics” (Shisou, August 1974 issue) and B. d’Espagnat’s Theory of Observation in Quantum Mechanics (translated by Shigeru Machida, Iwanami Shoten).
  2. The philosophical significance of Galileo’s scientific methodology is discussed in detail in E. Cassirer’s Philosophy and Exact Science (translated by Ken Oba, Kinokuniya Bookstore).
  3. The Assayer problem 6 (Masterpieces of the World Volume 21, “Galileo,” Chuo Koronsha, p. 308).
  4. The Assayer problem 48 (same source, p. 505).
  5. For further details, see A. D. Beyerchen’s Scientists Under Hitler (translated by Keiichi Tsunetomi, Iwanami Shoten).
  6. Regarding the importance of the hypothesis method and its historical development, see Laudan, L. (1981) Science and Hypothesis. Also, the famous phrase “I do not fabricate hypotheses” by Newton is discussed in Masao Watanabe’s “Newton and Hypotheses” (included in Newton’s Light and Shadow, Kyoritsu Shuppan).
  7. Poincaré’s Science and Hypothesis (translated by Isaburo Kono, Iwanami Bunko), p. 13.
  8. C. G. Hempel’s Philosophy of Natural Science (translated by Hiroshi Kurosaki, Baifukan), p. 23.
  9. Popper’s The Logic of Scientific Discovery (translated by Yoshikazu Onuchi and Hiroshi Mori, Hosei University Press), p. 48, p. 54.
  10. For further details on this point, see N.R. Hanson’s “Are Wave Mechanics and Matrix Mechanics Equivalent Theories?” in H. Feigl, G. Maxwell (eds.) Current Issues in the Philosophy of Science, pp. 401-428.
  11. Feynman, Leighton, and Sands’ The Feynman Lectures on Physics III, Electromagnetism (translated by Tatsuo Miyajima, Iwanami Shoten), p. 196.
  12. Hertz’s Principles of Mechanics (translated by Tomoyoshi Kamikawa, Tokai University Press).
  13. Boltzmann’s “Recent Developments in the Methods of Theoretical Physics” (included in Masterpieces of the World Volume 65, “Modern Science I”), p. 463.
  14. Masterpieces of the World Volume 66, “Modern Science II,” Chuo Koronsha, pp. 376-377.
  15. Dirac, “The Evolution of the Physicist’s Picture of Nature” (included in Science and Mathematics, Blue Backs), p. 49.
  16. There is also a rebuttal to this point arguing that nature is complex. R. Penrose, “Is Nature Complex?” (included in Encyclopedia of the Unknown [1] — The Frontiers of Physical Science, Britannica Japan).
  17. E. Mach’s Analysis of Sensations (translated by Gonojuke Sudo and Wataru Makabe, Hosei University Press), p. 254.
  18. E. Mach, same source, p. 266.
  19. N.R. Hanson’s Patterns of Discovery (translated by Yoichiro Murakami, Kodansha), Perception and Discovery Volumes 1 and 2 (translated by Keiichi Noya and Hiroshi Watanabe, Kinokuniya Bookstore).
  20. K.R. Popper’s Conjectures and Refutations (translated by Takashi Fujimoto, Juro Ishigaki, and Hiroshi Mori, Hosei University Press), p. 184.
  21. Shozo Omori’s The Structure of Knowledge and Learning (Obunsha), p. 12.
  22. Shozo Omori, same source, p. 165.
  23. Shozo Omori, same source, pp. 157-158, and K.R. Popper’s Conjectures and Refutations, p. 185.
  24. For a critique of instrumentalism from another perspective, see Yoichiro Murakami, “Nature and Humans” (included in Modern Science and Philosophy, Yushindo). Especially pp. 236-238, and K.R. Popper’s Conjectures and Refutations, Chapter 3 “Three Views on Knowledge.”
  25. A.F. Chalmers’ What is this thing called Science? (translated by Kiyoshi Takada and Masahiro Sano, Koseisha Koseikaku), p. 194.
 
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AIで日本語の学術論文を英訳するー自分の日本語論文を翻訳させてみる(ChatGPT編1-1)

現在のChatGPTにはPDFファイルやWordファイルをアップロードすることができます。

そこでここでは、私が50年前に書いた佐野正博(1983)「物理学における主観と客観の問題」『看護研究』Vol.16 No.3、pp.7-13という論文を英訳させてみた結果を紹介します。

その一覧のやりとりは、下記で見ることができますが、ここでは簡単にその概要を紹介します。
https://chatgpt.com/share/c4ae131b-5b06-46d4-b66a-3f84e0d972c7

PDFファイルをアップロードし、「添付ファイルで私の論文を送ります。英語に翻訳してください。」というプロンプト文を与えた結果は、「ファイルが長いため、内容が一部省略されていますが、提供された内容に基づいて論文の英訳を進めます。まず、主要な見出しと一部の内容を英訳します。」という回答がまずは返ってきました。

これは、「テキスト生成AIにおける最小処理単位「トークン」ーなぜ日本語文よりも英語文の方がより詳細な回答となるのか?」で紹介したように、WEB経由での対話的やりとりでは、1回のプロンプトで与えることができる情報量だけでなく、1回の回答で返される情報量にもかなりの制限があるためです。

 そのため、今回のように長文のPDFファイルに対する回答は、上述のhttps://chatgpt.com/share/c4ae131b-5b06-46d4-b66a-3f84e0d972c7に示したように、「第1ページ目を英語に翻訳してください。」、「第2ページ目を英語に翻訳してください。」、「第3ページ目を英語に翻訳してください。」・・・というように、逐次的にプロンプトを与えることで処理をしました。

なお今回の論文程度の分量であれば。「生成を続ける」というボタンを何度か押す必要がありますが、「英訳の全文を表示してください。」というプロンプト文を与えることで英訳文全体を取得することができます。

その結果は、下記に示した通りです。

 

 現行の生成AIでは、プロンプト文で意図した通りの結果が生成されるとは限りませんし、思わぬ間違いが含まれることもあります。それゆえ実務における利用に際しては、回答結果に関する念入りなチェックが事前に必要です。
(例えば、上記の英訳作業においても、第1節の前の冒頭の4つの文章は最初は英訳されていませんでしたので、追加で英訳の指示をおこなっています。)

 

 その英訳内容についての詳しい検討結果は、次稿の「AIで日本語の学術論文を英訳するー自分の日本語論文を翻訳させてみる(ChatGPT編その2)」で紹介します。

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AI研究室の新規追加室員

コスモピア株式会社AI研究室の室員として2024年9月より下記2名が新たに加わりました。
 
  1. 佐野悠介:コスモピア株式会社eステ事業部長、GAS/Pythonエンジニア
  2. 藤森智世:SDGsライター、生成AI活用ライター
    (現在、『多聴多読マガジン』で「AI時代のアプローチ 自分仕様の英語教材をつくる」を連載中)
 
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藤森智世「生成AIで信頼できる情報を集める」(AIを思考のパートナーに!その1)『多聴多読マガジン』2024年10月号

藤森智世先生の『多聴多読マガジン』連載記事の第3弾「生成AIで信頼できる情報を集める」『多聴多読マガジン』2024年10月号,pp.108-113の記事を下記で全文ダウンロードできます。

 
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