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中国のAI企業DeepSeekが開発した大規模言語モデル「DeepSeek R1」の蒸留(distill)モデルを基に、サイバーエージェントが日本語データで追加学習を行った「DeepSeek-R1-Distill-Qwen-14B/32B-Japanese」(2025年1月27日公開)の「回答」は下記の通りである。
(DeepSeek-R1-Distill-Qwen-14B/32B-Japaneseは、LM Studioによって自分のPCに組み込んでローカルに動作させた。そのことについては、「deepseekをローカルPCで利用する方法」を参照されたい。)
とはいえ池と井戸のイメージに関する分析など、指摘内容の妥当性に問題がないわけではない。池=自然物、井戸=人工物といった意味の対置がなされているが、池=自然物というのは必ずしも正しくない。芭蕉の句における「古池」は、下記のような理由から、「古くから存在する自然物」としての池ではなく、「古くに作られため古びた人工物」としての池を意味すると考えられる。
まず第一に、自然物は古びない。古びるのは人工物である。富士山や琵琶湖などの自然物は、古くから存在するモノであるが、古びない。古富士山という語句は、「古びた富士山」ではなく、約十万年前に存在した山のことである。また古琵琶湖という語句は、琵琶湖が現在の位置に移動する前に存在していた古代の湖のことである。(琵琶湖は、600万年~300万年前頃には三重県の伊賀盆地にあった。)
このように、自然物に対して「古」という形容詞を付けた場合には古くから存在しているということを意味するだけであり、人工物に対して「古」という形容詞を付けた場合とは趣がかなり異なってしまう。芭蕉の句における「古池」が自然物であるとすると、「古びた池」ではなく、「古くからある池」という意味となり、そこに「古びた」モノが持つ寂寥感を直接的に結びつけることはできない。
この点に関して、堀信夫(1975)「芭蕉の表現」『古文研究シリーズ 5 芭蕉』尚学図書 (『国語展望』別冊 No.14)、pp.13-20[ユーザー登録によりオンラインで閲覧可能]の下記指摘が正しいように筆者には思われる。
第二に、「古池」という漢字の読みが「こいけ」ではなく「ふるいけ」であることも、「古池」が人工物としての「古びた池」であることを傍証的に示すものである。「古寺」という語句を、古寺名刹(こじめいさつ)の場合のように「こじ」と読む場合には「古くからあり、歴史の長い、由緒ある寺院」を示すものとして、その存在が古くからあることを意味することが多い。これに対して、「古寺」という語句を、「ふるでら」と読んだ場合には、「古びた寺院」あるいは「古くなって荒れ果てた寺院」を意味することが多い。それゆえ「古池」を「ふるいけ」と読む場合には「古びた池」あるいは「古くなって荒れ果てた池」を意味すると解釈するのが自然である。
なお芭蕉の「古池や」の句の対象候補と考えられているのが、芭蕉が1680(延宝8)年の冬に移り住んだ深川の草庵「芭蕉庵」の敷地にあった古池である。ただ残念ながらその古池は現在はない。池の跡地は、東京都指定の名称地「芭蕉翁古池の跡」となっている。
以下、サイバーエージェント日本語追加学習版DeepSeek R1の回答
- 池:自然の水たまりを連想させ、「春の桜」「夏の蓮」など季節感や広大さが想起される。
- 井戸:人工的な掘削物であり、「深い井筒」「暗い影」や「水の冷たさ」などのイメージが付随する。
言葉の差異は、情景の雰囲気を変える潜在力を持つ。例えば、井戸周辺に「苔むした石段」や「井戸端に咲く野草」といった具体的な描写が伴えば、「池」版とは異なる詩的世界を構築できる。
- 単なる言葉の置換であっても、作者が意図的に新たな情景や解釈を込めたならば、「独自性」と評価される余地がある。
- 一方で、「池→井戸」のような類似語の選択は、単純な代替行為と捉えられ「独創性に欠ける」と批判されることもある(例:ロバート・クリークマンが指摘した「差異の弱さ」)。
判断基準となるのは以下の要素:
- 意図性: 井戸を選ぶ理由(例:特定の風景や比喩的意味を込めたか)。
- 詩的効果: 景観変化が俳句に新たな余韻や思索を与えるか。
- 「古井戸」という選択が、「井戸の水音」から連想される「深淵への誘惑」や「時間の重み」といった新たなテーマを開拓しているか?
- 逆に、置換が無味な場合(例:池→川への変更)、それは「創作性を欠く行為」とされても妥当かもしれない。
→ 俳諧師・与謝蕪村の句など、歴史的な文脈を考慮すべき。
反論2: 「古井戸」という言葉が地域的・個人的記憶と結びつく場合
→ 作者の体験に基づく選択であれば、オリジナル性は保証される。
- 言語的差異が情景・意味を変容させるか: 井戸が「深淵」「悠久」など独自の意象を生むなら肯定。
- 作者の意図性: 単なる代替ではなく、詩的効果を意識した選択であるか。
結論として、「池→井戸」の置換自体は独創性を欠く可能性もあるが、文脈や意図によってはオリジナル性を持つと解釈できる。俳句の真髄は「言葉の効果」と「情景の凝縮」にあり、単なる変更ではなく「作者の視点・感情への反映」が鍵となる。
→ 俳句は季節感や情景の厳密さを重んじるため、作者の選択が詩的効果と結びつく限り、「オリジナル性」は認められる。