芥川の5作目の短編小説『羅生門』を、株式会社AHSの日本語読み上げソフトVoicepeakを利用して音声データ化した。『羅生門』は、『今昔物語集』巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」をモチーフとしたもので、時代設定は、平安時代末期である。
「羅生門」は、1915(大正4)年11月に『帝国文学』に最初に掲載された。その最初の発表時には、エンディング部の記述が「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」となっていたが、3年後の1918(大正7)年7月刊行の作品集『新興文芸叢書第八編 鼻』春陽堂に収めるにあたり、現在のように「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。下人の行方ゆくえは、誰も知らない。」という形に書き直された。
「男性3」の音声を用い、一部を除きデフォルト設定で音声ファイル化したもの。全体で、19分4秒の長さとなっている。(セリフ部分の速さは95%と、少し遅くしてある。)
「男性3」の音声を用い、速さ90%、ピッチ-120%、ポーズ125%の設定で音声ファイル化したもの。全体で、21分24秒の長さとなっている。
「男性3」の音声を用い、速さ90%、ピッチ-120%、ポーズ125%の設定に加えて、「怒り」と「悲しみ」の感情パラメーターを20%として音声ファイル化したもの。全体で、21分49秒の長さとなっている。
「女性2」の音声を用い、速さ90%、ピッチ-120%、ポーズ125%の設定で音声ファイル化したもの。全体で、19分25秒の長さとなっている。
「女性2」の音声を用い、速さ90%、ピッチ-120%、ポーズ125%の設定に加えて、「怒り」と「悲しみ」の感情パラメーターを20%として音声ファイル化したもの。全体で、19分46秒の長さとなっている。
羅生門
芥川龍之介
ある日の暮方の事である。一人の
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか
その代りまた
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる
下人は、大きな
下人は、
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の
下人は、
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして
老婆は、一目下人を見ると、まるで
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の
「
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな
「成程な、
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
下人は、太刀を
「きっと、そうか。」
老婆の話が
「では、
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い
下人の
ただし下記のファイルでは、「幸せ、楽しみ、怒り、悲しみ」といった感情パラメータ、「速さ」、「ピッチ」、「ポーズ」などの設定はデフォルトのまま、変更していない。また「アクセント」、「イントネーション」、「読み上げ長さ」に関しては2.3の単語に関して変更を加えただけで基本的にはデフォルトの設定のままである。
また読み上げのためのテキスト・データとしては、『芥川龍之介全集1』(筑摩書房、ちくま文庫、1986年)の青空文庫所収のテキスト・データ(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card127.html)を基に、読み方に関して現代風になるように、下記ほかの変更をおこなった。執拗(しゅうね)くを「しつこく」と、疫病(えやみ)を「えきびょう」と、鬘《かずら》を「かつら」と、嚔(くさめ)を「くしゃみ」とするなど、若干の手直しをした。
またsentimentalismeは、フランス語の単語ではあるが、フランス語読みではなく、「センチメンタリズム」とした。(sentimentalismeのフランス語での発音は、“sentimentalisme”en.wiktionary.org/wiki/で聴くことができる。)
- 羅生門小説の舞台となっている羅生門のモデルは、平安京の朱雀大路の南端にあった羅城門(2階建てで9間3戸の大きさ。1間が1.82mなので、横幅9間とは16.38mとかなり横長であった。)であるが、980(天元3)年に倒壊し現存しない。羅城門の外は京外となる。羅城門の内外ともに幅3mの溝が掘られており、橋が架けられていた。。
平安時代にはしだいに荒廃し,『今昔物語集』によれば、芥川龍之介「羅生門」での設定にあるように、死骸が捨てられていたと記されている。
[図の出典]日本語版ウィキペディア「羅城門」所収の京都駅の復元模型の写真をもとに、背景を切り取った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/羅城門下記の平安京全体図に示されているように、平安京の中央の大通り「朱雀大路」の北端が朱雀門、南端が羅城門である。
[図の出典]咲宮薫「平安京」(日本語版ウィキペディア『平安京』所収の平安京に関する図)
https://ja.wikipedia.org/wiki/平安京 - 襖(あお)両袖の腋(わき)が縫われておらず、開いたままになっている上着。裾の部分に欄が付いていない。
コトバンク所収の「袍」(https://kotobank.jp/word/%E8%A2%8D-131736)に関する『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』ほかの解説文および図がわかりやすい。 - 汗袗(あざみ)汗で衣類がべとつかないようにしたり、汗が衣類にじむのを防止するために用いた肌着。麻や縮みなどの風通しの良い布が使われ、男女ともに用いていた。
- 市女笠(いちめがさ)北見俊夫「市女」『平凡社 世界大百科事典』によれば、市女(いちめ)とは「平安時代には都の東・西市で市人(いちびと)とともに,政府の買上品や,余剰物資の売却品の取扱いに従事した」女性に由来する名称である。なお同項目の説明によれば市女らがかぶる「独特な形をした,晴雨兼用のかぶり笠」が市女笠である。
平凡社『マイペディア』では、「平安中期以後上流婦人の外出用となり,じかにかぶったり,被衣(カツギ)の上に着装した。また周縁から薄布をたらし,これを虫の垂衣(タレギヌ)といった。もとスゲで編んだが,江戸時代には竹やヒノキで編んで黒漆を塗った。」と、宮本馨太郎「市女笠」『平凡社世界大百科事典』では「もとは市女のかぶった笠であったが,平安時代中期以後には上流婦人の外出に着装され,また雨天の行幸供奉(ぎようこうぐぶ)には公卿も着用する」ようになったとされている。
なお宮本馨太郎「市女笠」では「頂部に高い巾子(こじ)を造作した一種の笠。平安時代に行われたものは周縁部が大きく深く,肩,背をおおうほどであった」とされているので、文化庁遺産オンラインにある東京藝術大学大学美術館所蔵の「市女笠」のような形状に近いものと思われる。『岩波日本史辞典』所収のイラスト図もそれと同型である。ただし、同辞典の説明文では「周囲に虫垂(むしたれ)がつく場合は笠の傾斜が浅くなる」とされている。こうした記述に対応した形状の市女笠は、下記の写真のようなものではないかと思われる。
[図の出典]日本語版ウィキペディアにアップされたCorpse Reviver 氏による市女笠を被った女性の写真(京都で開催された時代祭りにおける写真)のバックを切り抜いたもの。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/12/Jidai_Matsuri_2009_348.jpgなお市女笠に関する富山県高岡市の菅笠振興会が販売している現代の市女笠(https://sugegasa.jp/item/市女笠/)の写真では、頭頂部が尖った形になっているが、これは安土桃山時代以降のデザインとされている。
- 申の刻下り(さるのこくさがり、あるいは、ななつさがり)「日の出」と「日の入り」の時刻を基準とした不定時法によるため、「申の刻」の時間帯は季節によって変化するが、昼と夜の長さが同一になる春分の日および秋分の日、すなわち、「日の出」が午前6時、「日の入り」が午後6時となる日であれば、定時法の現代における午後3時から午後5時までの時間帯に相当する。それゆえ「申の刻下り」は午後4時から午後5時までの時間帯を指すことになる。
時間帯については、国立天文台 暦計算室「定時法と不定時法」『暦Wiki』、「時刻」『歌舞伎用語案内』が参考になる。 - 鴟尾(しび)瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種であり、沓(くつ)に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれる。大脇潔「鴟尾」(『改訂新版 世界大百科事典』平凡社)によれば、「日本には高句麗,百済を経て6世紀末に伝えられ,飛鳥・白鳳・奈良時代の寺院に盛んに用いられるとともに,奈良・平安時代の宮殿・官衙にも使用された。」とのことである。下図の唐招提寺金堂のものが代表的である。
[図の出典]https://ja.wikipedia.org/wiki/鴟尾#/media/ファイル:Toshodaiji_Nara_Nara_pref00bs5s900.jpg - 築地(ついじ)築地市場は「海岸に土地を築いた」ということが地名の由来とされ「つきじ」と読むが、芥川龍之介『羅生門』では、「練り土を積み上げて造った塀」のことを意味し、「ついじ」と読む。古くは、土だけをつき固めた土塀のことを指すが、その後、柱を立て、板を芯として両側を土で塗り固め、屋根を瓦で葺ふいた塀を指す単語となった。コトバンク所収の『精選版 日本国語大辞典』の「築地」に関する解説文および図がわかりやすい。
- 丹塗(にぬり)社寺建築の柱などに見られる伝統的塗装方法。伝統的社寺の建物における赤い彩色は、酸化鉛から作られた伝統的な赤色顔料によるもので、建造物装飾の言葉では丹塗や弁柄塗と呼ばれる。赤色は血液を連想させることから「生命力」の象徴とされており、木材の防腐や防虫効果とともに、神仏の加護が人々に伝わるようにという意図が込められている。
- 松井禎昭 朗読「羅生門」(NPO多言語多読監修「朗読音声のダウンロード」『レベル別べつ読よみもの』)
https://tadoku.org/japanese/audio-downloads/tjr/#audiodownload-01NPO多言語多読 監修、粟野真紀子 簡約『にほんご多読ブックス』vol. 6-1 「羅生門・トロッコ」所収の、現代語に書き直された「羅生門」の日本語朗読音声がダウンロードできるようになっている。 - 特定非営利活動法人サイエンス・アクセシビリティ・ネット「羅生門」
https://www.sciaccess.net/mmDaisy/Rashomon/index.html「羅生門」を、同法人のChattyInfty3 for AITak Ver3.26bで読み上げた日本語朗読を、ルビ付き原文を見ながら聴くことができるようになっている。
ルビ付き原文は、「縦書き表示」と「横書き表示」の切り替えが可能となっているだけでなく、「少学1年生レベル」から「中学生レベル」までの学年レベルごとに表示を変えることができるようになっている。 - NHK「羅生門(芥川龍之介)」NHK for School
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/outline/?das_id=D0005150041_00000芥川龍之介「羅生門」に関わる解説と日本語朗読が交互に繰り返される10分間の動画。 - 『国語教室』第102号 特集「羅生門一世紀」、大修館書店
https://www.taishukan.co.jp/kokugo/media/journal_kokugo/?id=40特集「羅生門一世紀」として、下記論考が掲載されている。〈インタビュー〉 百年目の「羅生門」 関口安義 4
「羅生門」誕生前夜――下人の人物造型と現代 髙橋龍夫 10
「羅生門」はなぜ共通教材になったのか 武藤清吾 18
「羅生門」を再生する〈読者〉 阿部寿行 22
「羅生門」の扉を開くために――授業を拡張する七つの鍵 小澤 純 26
〈アンケート〉 「羅生門」は本当に面白い? 高校生アンケート 14 - 三宅義藏(2022)『羅生門」55の論点』大修館書店
https://www.taishukan.co.jp/book/b608218.html本書は、下記のような興味深い55の論点を取り上げており、興味深い。その1 「羅城門」を「羅生門」と変えたのは、なぜか。
その2 実在した「羅城門」は、どのような門だったか。
その3 暮れ方から物語が始まるのは、なぜか。
その4 「下人」とは何か。
その5 登場人物に名前がないのはなぜか。
その6 「雨やみを待っていた」と書いて、後で言い直したのはなぜか。
その7 「蟋蟀」は、コオロギかキリギリスか。
その8 「旧記によると」という解説があるのはなぜか。
その9 「仏像や仏具を打ち砕いて~薪の料に売っていた」という記述は何のためにあるのか。
その10 実際にはいない「鴉」の描写があるのはなぜか。
その11 下人が座っているのが「七段ある石段の一番上の段」であるのはなぜか。
その12 下人の着物が「紺」であることには、どのような意味があるか。
その13 「にきび」が何度も出てくるのは、なぜか。
その14 突然「作者」が出てくるのはなぜか。
その15 下人が暇を出されてから「四、五日」なのはなぜか。
その16 「Sentimentalisme」というフランス語が出てくるのはなぜか。
その17 「雨」「夕闇」「雲」の描写は何のためにあるのか。
その18 「どうにもならないことを」からの一段落は、どのようなことを言っているのか。
その19 盗人になることを積極的に肯定する勇気がなかったのはなぜか。
その20 「雨風の憂えのない、人目にかかる惧れのない」場所を求めたのはなぜか。
その21 なぜ下人は「聖柄の太刀」を持っているのか。
その22 「そのはしごの一番下の段へ踏みかけた」という描写には、どのような意味があるか。
その23 下人を「一人の男」と表現したのはなぜか。
その24 火の光を「濁った、黄色い光」と表現したのはなぜか。
その25 「どうせただの者ではない」という表現から、下人がどのような人物であると考えられるか。
その26 裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるのはなぜか。
その27 「ある強い感情」とは何か。
その28 老婆の描写の仕方にはどのような意図があるか。
その29 「六分の恐怖と四分の好奇心」とはどのようなものか。
その30 死体の髪の毛の抜き方が「一本ずつ」なのはなぜか。
その31 恐怖が少しずつ消えていった後の下人の心理はどのようなものか。
その32 老婆の行為を「許すべからざる悪」と思ったのはなぜか。
その33 「白い鋼の色」を突きつけた、とはどういうことか。
その34 「執拗く黙っている」のはなぜか。
その35 「全然、自分の意志に支配されている」という表現はおかしいのではないか。
その36 「この意識」が「憎悪の心」を「冷ましてしまった」とはどういうことか。
その37 下人が自分のことを「旅の者」と言ったのはなぜか。
その38 老婆が「この髪を抜いてな」を繰り返したのはなぜか。
その39 老婆は何のためにかつらを作ろうとしているのか。
その40 「老婆の答えが存外、平凡なのに失望した」のはなぜか。
その41 「前の憎悪が、冷ややかな侮蔑と一緒に、心の中へ入ってきた」とはどういうことか。
その42 老婆の台詞を現代語であらわすとどうなるか。
その43 「今昔物語集」の「女主人」を、「蛇を魚と偽って売る女」としたのはなぜか。
その44 老婆の言ったことを簡潔にまとめるとどうなるか。
その45 老婆が言ったことと下人が受け取ったことは、同一か。
その46 「大体こんな意味のこと」となっているのはなぜか。
その47 「勇気」が生まれてきたのは、なぜか。
その48 「あざけるような声で念を押した」のはなぜか。
その49 にきびから手を離したことにはどのような意味があるか。
その50 下人が盗み取ったものが、老婆の着物だけなのはなぜか。
その51 「またたく間に急なはしごを夜の底へ駆け下りた」とはどういうことか。
その52 下人が去った後、老婆が描かれているのはなぜか。
その53 「黒洞々たる夜」とは、どういうことをあらわしているか。
その54 「下人の行方は、誰も知らない」という終わり方を、どう考えるか。
その55 「羅生門」を、現代の高校生はどのように受け止めているか。
ピンバック: ChatGPT4oを利用したイラスト作成-芥川龍之介『羅生門』を題材として – コスモピア AI研究室