ブックタイトル英語で語ろう!私たちの昭和、平成そして令和_試し読み

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英語で語ろう!私たちの昭和、平成そして令和_試し読み

●ジャンル別● 駆け足で見る私たちの時代17赤狩り旋風とケネディ兄弟、キング牧師の暗殺 70 年前の日本の官製教科書が指摘したリスクは、その後も解消されなかった。1950 年代のアメリカでは、いわゆる赤狩り(red purge)の旋風が吹き荒れ、もう戦争はしたくないと言っただけで「赤=共産主義者(communist)」のレッテルを貼られた学者やハリウッド俳優が職を追われ、罪に問われた。今にして思えば救いがたい「邪道に脱線」だったのだが、アメリカでは今も(かつての日本と同様に)共産主義=悪という思い込みが生きている。1963 年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺の動機は今も「謎」とされているが、1968 年に弟のロバート・ケネディ(この年の大統領選に出馬し、最有力候補と目されていた)や人権活動家の黒人牧師マーティン・ルーサー・キング(1964 年のノーベル平和賞受賞者)が暗殺されたのは、どう見ても民主主義を邪魔したい勢力の仕業だった。ちなみにロバート不在の大統領選を制したのはリチャード・ニクソン、後にウォーターゲート(Watergate)事件で民主主義を裏切り、辞任に追い込まれた男である。熱い戦争と冷たい戦争 日本人にとって、昭和の前半は熱い戦争の時代で、後半(つまり戦後)は冷戦(ColdWar)の時代だった。昭和の終わった年(1989 年)の11 月にベルリンの壁が崩壊し、冷戦は幕を下ろすことになる。しかしアメリカは世界中で熱い戦争を続けていた。1950 年代初頭には朝鮮半島で、1975 年まではベトナムで、1980 年代にはイラン・イラク戦争でイラクに肩入れし、アフガニスタン内戦ではイスラム系ゲリラ(そのなかに2001 年9 月11 日のアメリカ本土同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラディンも含まれていた)に武器を提供していた。平成の初め(1990 年代初頭)にはイラクへ攻め込み(湾岸戦争)、今世紀に入ってからは対テロ戦争(war on terror)の泥沼にはまっている。 言うまでもないが、戦争は(熱くても冷たくても)民主主義の首を絞める。息が詰まった民衆は投票所ではなく街頭に繰り出し、直接行動で反撃する。それが1968 年のフランスにおける「5 月革命」(パリを発火点とする学生や労働者の抗議行動)や日本の全共闘運動であり、1970 年代まで世界各地で続いたベトナム反戦運動であり、1988 年のビルマ(現ミャンマー)における民主化運動(軍事政権による血の弾圧で押さえ込まれた)であり、1989 年の中国・北京における天安門広場の占拠であり、さらには2010 年12 月のチュニジアに始まる「アラブの春」であったのだろう。 1989 年の6 月4 日、天安門広場を埋めた民衆が軍隊によって乱暴に排除された日、筆者はたまたまアメリカの首都ワシントンにいて、中国大使館に向かうデモの隊列に加わっていた。それは現地の中国系アメリカ人が急きょ呼びかけた抗議行動で、私の隣には大きなマスクやサングラスで顔を隠した中国からの留学生もいた。ああ自分も1968年の東京ではタオルとヘルメットで顔を隠してデモをしていたなと、ふと思った。そこ